魅惑のほんめし
本を読むことが好きだ。唯一の趣味と言っていい。
本の世界に浸りきっているときの、あの何とも言えない昂揚感。
図書館に入ろうものなら、まず閉館時間まで出てこない自信がある。
本の中ではなんにだってなれる。
高校生にだって老人にだってなれる。
異性にだってなれるし、人外にだってなれる。
思うに、活字って必要最低限の情報でしかないから視覚・聴覚・嗅覚・味覚・触覚は想像力で補うほかない。だからこそ想像力、いや、妄想力を極限にまで高める触媒となりえるものなのだと思う。
妄想族の本領発揮である。
それにしても、どうして世の作家さんたちというのは、とりわけ料理の場面において、ああも想像力をそそる描写ができるのだろうか。
夜中にうっかり北森鴻なんて読んでしまった日には、食欲VS理性の果てしない戦いが始まること必至である。むろん理性が勝てたためしなどない。
ダイエット?そんなものは丸めて燃やして灰はカスピ海にでも撒いておけ!
ただの文字の羅列、ただの白黒の世界が作家さんたちの技術と読み手の妄想力によって
色や音、香りまでもが詳細に浮かんでくる。
ジュワーっと卵にバターの溶ける良い香りが部屋いっぱいに広がったりするのである。 もちろん脳内で。
そんな私の食生活はもっぱら本の内容に左右されている。
先日、久しぶりにしゃばけシリ-ズ『やなりいなり』を読み直してみた。
若旦那そこどけ。お獅子をモフらせろ。
ひたすら鳴家のかわいさを愛でつつ、やたらと卵焼きと大福が食べたくなる本である。
ちょうど私自身が風邪気味であったので、超絶病弱な万年死にかけ主人公・若旦那が風邪をひいて寝込んでいるシーンから晩御飯のメニューを決めようと思いつく。
お粥に、大根の煮物。味噌漬け豆腐。
甘辛く味付けたあげを入れ、葱をたんと入れたうどん。ぬかみそ漬け付き。
熱々ご飯と具沢山の味噌汁、柔らかく煮付けた里芋。細く切って胡麻をまぶした沢庵。
最近調子の悪い若旦那のご飯は、食べやすいものが続いていた。
くっ。里芋が私を呼んでいる… もっと体調がよければ、やなり稲荷を作りたいところではあるが、なんせ具合が悪い。
一人暮らしゆえ長崎屋のように女中などいない身としては、風邪の時に手間のかかる料理はご免こうむる。
ということで、簡単に出来てかつ体が温まりそうなうどんをチョイス。
※写真撮るの忘れて食べちゃったので画像はお借りいたしました
出来上がってみれば、なんてことはないただのきつねうどんである。
いいのだ。ほんめしのいいところは妄想力による補填が可能というところ。
たぐいまれなる妄想力によって、何の変哲もないうどんの味を3割増しにくらいには感じることが出来る。
本の中の世界観に浸ったまま食べることによって、膝の上には鳴家が、隣には屏風のぞきや鈴彦姫がいるかのように妄想しつつ食べることだって出来る。
寂しくなんか、ないんだもん。
ごちそうさまでした。