日々是妄想

読書が好き。食べることが好き。哲学が好き。引きこもりがちな私の日常。大体妄想中。

【全力で】味噌なんか食べてあげないもん【震えたい】

 

なんだか坐骨神経痛な気がしなくもない、ひなおです。

最近のお気に入りは冷汁です。

味噌と魚のハーモニー(*´ω`*)

 

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忙殺、という日本語の意味をかみしめている今日この頃。

気付けば世間様はすっかり真夏ですね。

空が青すぎて、うかれた若者たちが眩しすぎて、引きこもりたい欲が天元突破している私はきっと極度のひねくれ野郎です。

おそと、や!!!!

 

 

 

さてさて。

ここんとこ「現実?ハッ、そんなものが何の役に立つっていうのかしら?放っておくがよいわ!」的な記事が連発していた気がするので

今日は逆に、思いっきり現実様にスリスリべったり方式で行こうかと思います。

暑苦しい夏に、あえての暑苦しい記事。

べたべたべたべた。

 

 

 

3分の1も伝わらない純情な感情を持て余して

アイラブユーさえ言えないでいるマイハ—を抱えて

オラこんな村嫌だとばかりにココじゃないどこかを目指して

いらない何も捨ててしまおうと君の名前を叫んで飛び出した結果

もう全部まとめてお断りしますDA☆N☆KO状態になって

生きてるだけで幸せって思えばいいの?もうわかんないよバカ!

とミクさんボイスで投げ出したくなる。

 

 

そんな29話に絶賛プルプル振動中の、そこのあなた。

 

 

hikikomorikei.hatenablog.com

 

この記事風に言うと

味噌が食べたくて食べたくて震えている状態なわけですけども

今までの流れ的に考えるとするなら

 

  • 味噌が食べれない今と、これから放映される30話は無関係
  • ゆえに29話見て震えようが微動だにしなかろうが無関係
  • そもそも、その29話ってホントに真実?
  • 自前のフィルター通して見た結果「なんか味噌がないっぽい」感じの映像になってるだけじゃね?

 

的な感じになるわけです。

これで「ほんなら好き勝手に続き創っていいんじゃん!キャッホウ☆」

とテンションアゲアゲ(←死語)になれる方であれば、何にも問題ないのですが

逆に

「ってことは、私が変わらない限り、現実も変わんないってことじゃん」

「自分を変えれる気が微塵もしない。絶望」

と、部屋の隅っちょで光の消えた目で体育座りをしかねない方は

もしかしたら、29話こそが変えようのない真実だ!!と断言しちゃうほうが

逆にいいかもしれませぬ。

 

 

 

現実様こそ我が全て!!!!

ってな具合に、どこぞの狂信者ばりに声高らかに 宣言するのです。

胸を張って!

腰に手を当てて!!

銭湯で牛乳飲むポーズのごとく !!!

 

 

そう、味噌が食べられない現実

味噌が手元にない現実こそが真実であると!!!!

 

 

そして、現実様絶対主義者からしたら、いま手元に味噌がないのは

現実様のおぼしめしな訳です。

味噌がない=大正解な訳です。

 

 

私は味噌にふさわしいとか

味噌が食べられないのは私の勝手な思い込みであるとか

いま味噌がないことと、明日味噌がないことは無関係とか

なんかゴチャゴチャ言ってましたけど、そんなのポイです。

 

 

味噌がない、食べられない現実こそが正しいんです。

と仮に決めてみたとしたら、どうだろう。

 

 

こんなにも味噌が食べたいのに一体いつになったら味噌が手に入るんだろう。

いつまで味噌とあなたの幸せは関係ない的な精神論で、納得したふりしてお腹いっぱいにしてればいいんだろう。

味噌がない現実を直視したくなくて「僕悪いスライムじゃないよう」とばかりにプルプル震えながら。

 

 

 

 

は???

いやいやいやいや、何をおっしゃるうさぎさん。

自分の望みくらい、ちゃんと把握しときましょうよ。

だって、現実様は絶対なんですよ。

現実様のおぼしめしなんですよ。

 

 

 

つまり

間違ってるのは自分のほう。

間違ってるのは願望のほう。

 

 

現実様こそ我が全て。

ってことは、現実様が映し出す景色。もたらしてくれるモノ。

そのすべてが自分の望んでるもの、と言い換えられるんじゃないでしょうか。

 

 

今回の例えの場合だと

味噌なんか食べてあげないもん!!

直立不動になんかなってあげないもん!!!!

こんな感じでしょうか。

 

 

 

 味噌なんか食べたくないし、全力で西野さんしてたいんだよ!

そっちを叶えてる真っ最中なんだよ!

みたいな。

 

 

 

試しに心の中でブツブツ言ってみてください。

お金なんか稼いであげないもん。

あんたとなんて付き合ってあげないもん。

みんなと仲良くなんかしてあげないもん。

健康ハッスルなんかしてあげないもん。

などなど。

 

 

そうそうそうそう!

そーなんだよ!!!

なーんて感覚があった方は、是非にその「今までシカトしてたもう一つの声」に

全力で耳を傾けて差し上げてくださいませ。

決して「味噌なんか食べてあげないもん、プイッ」としてる自分を

否定したり罵倒したり、味噌食べたい自分に変えようとしたりしないで

食べたくないんかー、左様かー、くらいの感じで眺めるくらいでOKです。

 

 

 

もともと、なんかのまとめブログか何かで見たやり方だったんですけど

その時は「いろんなこと考える人がいるなー」って思ったくらいで

試したことはなかったんです。

読み物として楽しんでただけで。

 

 

けど何年か前に、とあることに関して、どーにも煮詰まったことがあって

その時にそー言えばって思いだして

こんなに上手くいかないてことは、上手くいきたくないんじゃね?

って自分でも思ったからやってみたわけです。

 

 

そしたらまぁ、すっごい面白かった。

このへんは、詳しく言語化すればするほど、感覚とかけ離れていっちゃうので

あんまり言いたくないんですけども。

 

 

ほんとに味噌なんか食べたくないって思ってたわ。

って納得したんです。せざるを得なかった。

 

 

味噌なんか食べてあげないもんっていうたんびに

嬉しくてうれしくて、心が震えるくらい。

あんなに「味噌ぉぉぉぉ」って言ってたのに、味噌なんか一瞬でどーでもよくなって

そんな事より「叶え続けてきた自分」への愛しさと切なさと心強さが止まらない。

 

 

結果的に現実様がどーでもよくなった

っていうね。

 

 

チラ見もしない、叶えたいという気持ち自体がわかない

だって叶ってるし、そんなことより私ラブ、みたいな。

 

 

 

 これ、ハマる人は一瞬で自分の立ち位置変わると思います。

「叶えたい」っていうフォームから

一瞬で「叶えてる」フォームに変わるって感じ。

 

 

味噌が食べたい、と

味噌なんか食べてあげない。

 

 

前者が「叶えたい」フォーム。

味噌がない不足感や焦り、味噌が食べられないかもしれない恐怖

そんなものも湧いてきがち。

 

 

後者は「叶ってる」フォーム。

今まさに食べてないんだから叶えてるし、不足もクソもないですし

味噌を食べようと思えば食べれる位置に立ってるんですよね。

食べるのも食べないのも好みの問題であって、ただの選択っていう。

 

 

あと、まぁほかにもいろいろあるんだけど

私の感覚と皆様の感覚が一緒かは分からないので

あんまり書きすぎるのもなーってことで

 

 

とりあえずお試しあれ☆