日々是妄想

読書が好き。食べることが好き。哲学が好き。引きこもりがちな私の日常。大体妄想中。

合言葉は「29話のくせに!!味噌のくせに!!」

 

こんにちわ。

イメージングやらアファやらなんやらで幸せワールドにダイブできる方にとっては

まったくもってどうでも良いことを書いてみよう!

キュウリ食べてたら、そう唐突に思いついたひなおです。

キュウリと味噌って幸せだよね。

ていうか、味噌って幸せだよね。

 

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さてさて、珍しくとっても理屈っぽいことを書いてみようとおもう。

現実様のおなーりー状態から、どうしても離れられない方は 

もしかして理屈から入ったほうがいいのかなって。

 

 

そもそもの最初、私も理屈で考えて、論旨になっとくしたから

仮採用することを決めたんだったなーと思い出してたら味噌がなくなった。

絶望。

 

 

仮採用してみたら、なんかますます納得したから

とりあえず今も仮採用してるんだけれども。

(いろいろ考え方とか実践方法の変遷はあったけど)

 

 

仮採用するって決めたときに

いっこだけ、これだけは守ると決めたことがあった。

 

 

どうせ仮採用するなら

前提は徹底的に遵守する、って。

 

 

前提からそれたら、採用したことにならない。

そしたら検討のしようがないので、時間の無駄。

そうおもったんです。

 

 

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【仮定】

引き寄せの法則ないし潜在意識的なもんが存在すると仮定する。

すっごい胡散臭いけど!!

実際に存在するかしないかどーかは、横に置いとく。

ひとまず、そーゆーもんがあると仮定する。

つまり自己の内面が現実に反映される世界である

という大前提を、最低でも1ヵ月は適用する。

 

 

 

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【考察スタート】

では、今目の前に広がってる現実とはなんぞ?

少なくとも今の内面が即、目の前の現実に反映されてるわけではなさそうだ。

ということは、過去の自分が作り出した映像、虚構ということになる。

そうでなきゃ論理的におかしい。

ということは。

体験してる「今」とは「過去」である、と言い換えられる。

そうでなきゃ論理的におかしい。

そして「今」の内面が反映されるのは「今」の現実ではない

ん??????

まとめよう

◆自己の内面が現実に反映されている、が大前提

◆現実とは映像のようなもの

◆現実の今=内面の過去

とゆーことは

今目の前に見えてる現実へのリアクション如何が未来に作用する、という従来の考え方

今目の前に見えてる現実に則した未来が展開される、という従来の考え方は

そもそも成立しなくない!?!?

なぜなら

則すのはあくまで自己の内面であるから。

つまり

過去→未来、原因→結果という因果関係も虚構ってことになる。

(というか時間の連続性というものに、そもそも疑問が生まれる)

であれば

現実にも過去にも記憶にも、何にも意味がないということになる!!

あくまでこの先の展開は【今、この瞬間】の【自己の内面】によるものであり

それ以外に影響はされない。

現実に影響される、とか論理的にぜったい成り立たないことになる。

 

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ふむ。

ちょっと例えてみる。

 

 

目の前の現実=絶賛放映中の第29話

自己の内面未放映の第30話

と定義する

第29話「味噌がなくて絶望したでござるの巻き」

を食い入るように見ていたとする。

なんで味噌がねぇんだよ!と絶望したりブチ切れたり

悲しみに打ちひしがれて、膝から崩れ落ちたとする

ここから分岐

【前提採用。そのうえで実践している場合】

第29話「味噌がなくて絶望したでござるの巻き」はそれはそれで受け入れる。

味噌がないのは事実だから。

だがしかし、味噌がないことと第30話は全くもって無関係。

何故なら第30話を作るのは私であって第29話ではないからだ。

「冷蔵庫にケーキがあったから、味噌はどうでもよくなったでござるの巻き」とか

「何故か味噌を手土産に友人襲来でござるの巻き」とか

「キュウリの切れ目に味噌がサンドされていた、だと!?でござるの巻き」とか

好き勝手に続きを執筆。

ゆえに第29話を見て膝から崩れ落ちても無問題。

泣き喚こうが無問題。

第29話をがっつり見ていようと、シカトしていようと無問題。

執筆方法がアファだろうとイメージングだろうとリストアップだろうと

なんなら呼吸してるだけだろうと、無問題。

結果、第29話と全く繋がりのない第30話「寿司食べ放題に狂喜乱舞でござるの巻き」が突如放送されたり

よくそこから大逆転したな的な第30話だったり

とりあえず満足する内容の第30話が放映されるってことだけは確定。

 

 

 

【前提ガン無視。実践してるつもりになってるだけの場合】

第29話「味噌がなくて絶望したでござるの巻き」が絶対的な真実であると誤認し

第29話の内容に則した第30話「食べたくて食べたくて震えてるでござるの巻き」を

自動作成。

未放送の第30話を執筆することを放棄して、何故か放映済の29話の内容を変えよう

とすることに躍起になる。

第29話の内容を変えようとして

「わたしは味噌に愛されています」

「わたしは味噌を受け取ることを許可します」

と毎日100万回ぶつぶつと呟いて

第29話の内容を変えようとして

「めくるめく味噌まみれワンダーランド」のイメージングに精を出し

今日はよく味噌のイメージングが出来た♪

今日は味噌を上手くイメージできなかった…どうしよう!

とか、訳わからん評価を持ち出して余計な悩みまで増やしつつ

第29話の内容を変えようとして

でもがんばって現実無視しなきゃ!

ネガティブになったら、またネガティブな現実つくることになっちゃう!

とか、もはやどこから突っ込むべきかもワカランこと言いだして

結果、当たり前だけど放映済の第29話の内容が変わるわけもなく

自動作成された第30話「食べたくて食べたくて震えてるでござるの巻き」も

全く手を付けなかったから、当然そのまま放送される。

第30話feat西野カナが現実として放映されたのち、さらに震えっぷりを増した

全身マナーモード第31話を自動作成、のち放映。

もはや恨みつらみしか見当たらない第32話自動作成とエンドレス呪怨

怖すぎるわ!!!!! 

そしてアホすぎるわ!!!!

 

 

 以上考察終わり。

 

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と、理屈で考えていったら

メソッド要らずでそっこー現実に対して認識が変わりました。

 

 

あんまり現実見てわーきゃーしなくなっていきます。

逆に安心してわーきゃーしていい、とも言えるんですけどね。

最近の私はむしろこっちだなぁ。

安心してきゃーってやってる。

 

 

 

 

んで、理屈が理解できると

「ネガティブになっちゃダメ」

「ネガティブは関係ない」

と一見相反することが、同じこと言ってるってことも理解できるし

 

 

感情伴うイメージが大事

アファで脳みそ壊れるまでやるのが有効

な理由もわかるし

 

感情?思考?んなもん意味ねえよ

もすごく納得する。

 

 

だから、選べる。

 

 

意外と理屈から入って、ループ断ちできたひとが

絶賛1人ここにおりますので

投下してみますた。

 

 

今度から現実に振り回されそうになったら

「29話のくせに!!味噌のくせに!!」

って考えるといいとおもうの。

くだらなすぎて脱力するとおもうの。

 

そのまま29話にどっぷりしてたら、30話で震えるはめになっちゃうの。

ゆくゆくは呪怨化しちゃうの。

味噌のくせに。

 

 

だから

「29話のくせに!!味噌のくせに!!」

って言って正気に戻るといいとおもうの。

 

 

 

 

珍しく、すごく真面目に理屈っぽく書けた!って思ってたのに

途中から味噌まみれになった。

解せぬ(´・ω・`)