日々是妄想

読書が好き。食べることが好き。哲学が好き。引きこもりがちな私の日常。大体妄想中。

私にとっての現実世界=【今】しかなくなっちゃった

 

結婚生活15年、今じゃすっかり主婦業が板についた3人の子持ちママのひなおです。

どうもこんにちわ。

 

 

・・・・大丈夫。まだ病院送りにはされないレベルのはず。たぶん。

 

 

さてまきお師匠に触発された連日の筋トレ祭りで、激しい筋肉痛に見舞われる日々。

 日々、妄想の世界を生きる私にとって、現実での行動諸々は、大体が【気持ち良く妄想をするため】に行われています。

 

掃除も、部屋の模様替えも、ファッションも料理も。

全てが我が脳内ワンダーランドの道具にすぎぬ。

 

脳内世界>>>>現実世界で生きているので、私にとっての真実は脳内世界なわけです。というか、どっちも真実か。

独身な私、メガネボーイな彼氏がいる私、なぜか天然金髪キッズを子に持つ私、なぜか旦那さんが日替わりで変わる私(昨日はドイツ人クォーター)といろんな私に瞬間瞬間、なっていますがどれも同じ「私」で全部違う「私」。

 

 

…なんかエヴァっぽい話になってきた。

でも実際そうなんですよねー。

 

だからこそ、ものすごく不愉快な感情の渦のただなかに居ても、どこかで冷静かつ俯瞰して流れを見守ってる自分がいたりして。

例えばものすごく落ち込んだり怒ったりして、そりゃ不愉快だしストレスもたまるし悲しくなったりもするし「ちょっと聞いてよー!」と愚痴ったりとかもします。

そんな自分もこみで、まるっと映像としてみてる感じというか。

そんなジタバタしてる自分自体がひとつのキャラクターで、台本通りにジタバタしてるっていう感覚というか。

 

 

どこかでわかってる感じ。

変えようと思えばいくらでもこの【前提】を変えられるってこと。

 

 

だから淡々と見ていられる。

見てもいいし見なくてもいいし、見て不愉快になってもいいし心地よくなってもいい。

どうせただ流れてるだけだから。

 

 

一生懸命その映像の流れを変えようとする必要もないし、でも変えようと頑張っちゃっても問題ないし、何かを「分かろう」としなくても問題ないししても問題ないし。

なんでもいーよ。どーでもいーよ。

今の心境は大体こんな感じです。

 

 

だから自由に感情を感じられる。

怒る事も悲しむ事も憎む事も、別に怖くない。

だからってそういう感情が、特別好きだとかたくさん味わいたいとかって話じゃない。

むしろ好きじゃないwwww

 

 

だから自由に選べる。

【今】なにを感じていたいのか。

【今】なにをガン見していたいのか。

 

 

だから気分がドン底に落ちても余裕でいられる。

どうせ映像だから。

どうせ台本通りに進んでるだけだから。

そしてその台本は差し替え可能だから。

 

 

だけど【前提】が変わらないといつまでたっても【台本を変えようと頑張っているストーリー】が展開されるだけで、あんまり映る映像が変わらない。

どうやって前提が崩れたり移行するのかはその個人個人によって違うだろうし、出来る時と出来ない時もあったりするだろうし。

 

だから、もうそれすら気にしない。

そうしたら、ただひたすら【今】にしか居られない感じになってきた。

 

いや、もともと全人類【今】にしかいられてないけど。

過去とか未来にいる人とか、少なくとも4次元世界じゃたぶんあり得ないと思うけど!

 

まぁとにかく、そんな感じで【今】がものすごーくクリアになって、そしたら自分の望みというか【好き】なこともクリアになって、自然とそっちにフォーカスすることが増えて、何故か記憶が曖昧になってきて、結果的に今まで強固に持ち続けていた【前提】が一部崩れてきたみたいで、流れてる映像もゴロンゴロン変わってきてるんだけどなんかあんま興味ない、みたいな。

 

なんか、今とりあえずそんな感じです。

今日はちょっと雑記感。

 

明日は師匠とデート。うふふん。